今回の金継ぎスト:小石原さんの金継ぎ 繕いのうつわ 小石原 剛さん
京都市上京区の日本の古民家で金継ぎを行っている小石原 剛さんが、快くインタビューをお引き受けくださいました。小石原さんのお話から学んだことを、私見を織り交ぜながらまとめさせていただきました。
場所
金継ぎストインタビュー
金継ぎの世界に足を踏み入れたきっかけ
小石原さんは美術大学をご卒業でいらっしゃいますが、35年前に日本料理屋さんに頼まれて初めて金継ぎを始められ、その後お茶屋さんなどからもご依頼を受けるようになったそうです。この頃、美術館でも金継ぎ作品がどこにあるのか分からないくらい情報を入手するのが難しく、小石原さんは図書館や美術館などで独学で金継ぎを習得されました。美術の先生をされていたこともあり、教えるのが得意な小石原さんは、修理と教えることの両方のプロとして現在ご活躍されていらっしゃいます。14~15年程前には小石原さんを含めて日本で5人くらいしか金継ぎをされている人いなかったようですが、10年前に初めて取材を受けたそうです。今、金継ぎは静かなブームなとり、多くの人が金継ぎのお教室をしたり修理をされています。
漆に関する歴史(小石原さんの解釈)
平安時代、海外で「Japan」=「漆器」と言われるほど日本は漆器の生産が盛んでした。漆器は御所で使われていて、漆職人が塗りものをしていました。国産の釉(うわぐすり)で木の器に絵付けをし始めたのは17世紀初め(1610年)ごろ。しかし釉を塗った器は高級品で、庶民は使えず、江戸時代でも庶民は何も塗っていない木の器を使っていました。明治時代に器が量産されるようになって、陶芸が窯業(ようぎょう)になりました。ご飯は焼き物(土もの)に入れるようになり、自分のお茶碗は箱膳(はこぜん)に入れて、お嫁に行くとき一緒に持っていき、死んだときに枕元に置かれました。今ではたくさんある焼き物ですが、明治時代まで焼き物は身近になかったのです。この頃、塗り屋さんは漆器が盛んでしたので、器が剥げてきたら直すためたくさん仕事がありました。良い漆器は高価で、焼き物の方がむしろ安かった時代です。漆の職人さんは漆が乾きやすい梅雨に仕事が多く、漆が乾きにくい冬は金継ぎや修理をして生活を支えていました。しかし現在、日本の漆器産業は衰退してきています…。
金継ぎに関する歴史(小石原さんの解釈)
ここで小石原さんの面白いお考えをお聞かせいただきました。金継ぎは本来、”Eco”とか”もったいない”の精神とは関係ない、のではないかと。
桃山時代(1600年代初め)に伊万里で焼き物が焼けるようになるまで、白いきれいな絵付けをした陶器は超高級品で、そういったものを持ってるのは公家やお殿様だけでした。またこれらは中国・朝鮮から渡ってきたものばかりでした(豊臣秀吉の時代は中国・朝鮮と定期航路がありました)。この頃、器を直す漆職人がお城を出入りしていましたが、器を壊したら、殿の大切なモノを壊したということで、腹切りしなければなりませんでした…。
また日本の六古窯*と呼ばれる陶磁器の産地から人が器を運んで来るときにも、壊れることもありました。この時、最高の修理をすべく、蒔絵などで金粉を撒いて修理の仕上げをしました。当時としては、これは当然の美学でした。
※六古窯(ろっこよう):古来の陶磁器窯のうち中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称
金継ぎとお茶の世界
お茶の世界では、千利休と豊臣秀吉の時代に、千利休が「わび茶」で茶道を完成させたと言われています。戦(いくさ)で領土を得たときに、複数人で成果を上げた場合、一人一人の領土の取り分が少なくなり、ご褒美を与えるのに困ったため、茶の道具を領土の代わりに与えたのでした。つまり、道具と茶入れというモノに付加価値を与えたのです。また、お茶会で、お茶で競わせることにも成功しました。茶の湯御政道では、敵対する相手が1対1で狭い部屋でお茶をし、緊張感のある中、和平の話し合いをしました。これがうまくいかないと、このお茶をした二人が明日から敵となって戦が始まるため、一期一会(いちごいちえ)という言葉も生まれました。また会所茶会(かいしょちゃかい)は殿の権威をみせる会で、この会に招待されることは名誉ある事でした。
「おもてなし」とは本来「表裏なし」の意味で、「最上級のご用意をしました」、という意味でだそうです。昔は今のようにおもてなしをする相手の好みをインターネットで事前に調べておくことができなかったので、スパイのような者に調べさせて、好みの掛け軸など用意しておもてなしをしました。また、相手がどれだけこのおもてなしに感受性があるかもみられたそうです。
金継ぎに関する資料が少ない理由
金継ぎが資料としてあまりなく、歴史として残っていないのは、お殿様の大事なものを壊した恥であることを公文書として残さなかったからでは、と推測しています。今も残っている金継ぎに関する有名な昔話としては、筒井筒(つついづつ)があります。秀吉が愛したお茶碗を茶屋の家来が壊してしまい、それを金継ぎして細川幽斉が狂歌を詠み、秀吉の怒りをしずめ、家来が命拾いをしたことが、歴史として今も残っています。
千利休と金継ぎ
割れた器は人に出せないけど捨てるわけにもいかないところを、金継ぎすれば無傷として扱い、もう一度、人様の前に出せるものとして価値を与えた千利休は、お茶の世界で最高の、今でいう「プロデューサー」だったのかもしれません。千利休は秀吉の茶頭というお役職で、いわば「お茶担当大臣」のような存在でした。器が壊れても、ゆっくり、丁寧に、かつ完璧に直してゆき、その直している間は割ってしまった家来も生きていられることができ、器が直った後に切腹しなければならないけれども、器が直る頃には殿のご機嫌が変わるかもしれない…と祈っていられたのかもしれません。(今考えると怖い世の中です)
海外の割れた器への考え方
ヨーロッパはキリスト教信者が多いですが、器が割れたら悪魔の仕業ということで捨てる文化のようです。また中国は、壊れたら捨てて新しく作り、新品でお客様をもてなす文化だそうです。金継ぎをして器を使い続ける文化は、日本独特だと思います。
これからの金継ぎ
今後も金継ぎはなくならないだろうと思います。焼き物は特別なので、現代の人も金継ぎに惹かれます。気に入ったお茶碗が割れた悲しさ、直った時の嬉しさは昔と今も同じで、金継ぎは心の隙間に入ってくる…。また今後もし漆器産業がより一層衰退してしまったとしても、漆の職人さんが金継ぎで収入を保てるかもしれません。しかし伝統工芸は道具を作る人が年々減っていて、産業としてピンチの状態です。例えば蒔絵(まきえ)筆を作っているお店も日本全国で3~4件くらいまで減ってしまいました。文化庁がこの事態を何とかしようと対策を練っているようですが、大きい視点で変革していかなかければ難しく、ましてや個々の職人さんや一般のエンドユーザーでも、状況を良くするのは難しいかもしれません。
海外からのニーズ
小石原さんは現在、90分間の金継ぎ体験コースをほぼ毎日開催されていますが、9割が外国人とのことです。どんどん参加者が増えているそうです。外国の方には通訳の方と一緒に来ていただくか、英語圏以外の国の方も多いそうですが、言葉が通じなくても対応されているそうです。
金継ぎの修理方法について
金継ぎを伝統工芸的にとらえるのであれば、職人としての発想で伝統的手法を用いるでしょうし、修復としてとらえるのであれば早く安全にできる方法が良いのでは…最近は簡易金継ぎと呼ばれる新しい手法もあります。時代によって素材も変わってくるため、伝統的な方法も新しい方法も、両方が必要になってきているのかもしれません。
金継ぎに対するポリシー
モノを作った人がいて、引き継がれてきて、壊れるとその一連の流れが途切れてしまいます。直す方は持ち主から出すぎても引っ込みすぎてもダメ、と語る小石原さん。「作り手より出ない、持ち主より出ない」ことをモットーに金継ぎをされているそうです。持ち主のお考えを尊重した修理を心がけていらっしゃいました。
海外からも注目を浴びた、画期的な金継ぎ作品
小石原さんの作品で、スマートフォンiPhone 6の金継ぎ写真が、以前、ネットで話題になっていました。
落下のためガラストップが欠け、罅が入っていましたので、補修してから金を蒔きました。
2015年 04月 07日日用の器を直して楽しむ、金継ぎ工房「繕いのうつわ」のブログより
教室の生徒さんからの依頼でしたが、最新のスマートデバイスを室町時代から続く技法で繕う。何とも現代的な「景色」です。
金継ぎは器や置物に施すもののイメージでしたが、遊び心たっぷりで、そのクリエイティブさが伺えました。
金継ぎマッチングプラットフォームについて
取材者Yukiは、金継ぎや伝統工芸を一般の人にもっと普及させ、職人さんにより活躍してもらいたいと思い、インターネット上にマッチングプラットフォームを構築したいと考えており、ご意見をお願いしました。
金継ぎはそんなに手軽にできるものではないので、金継ぎを多くの方に知ってもらうところに注力してほしいとご要望いただきました。しかし金継ぎを知らない人からの依頼が増えることによって、今後職人さんが素人のお客様とコミュニケーションが増えて、ある意味、鍛えられるかもしれない、ともおっしゃっていました。
金継ぎ教室の様子
日本の古民家である京都工房にインタビューのためお邪魔しましたが、金継ぎ教室が始まり、生徒さんが集まってきて、金継ぎされている様子も拝見させていただきました。皆さん和気あいあいと、おしゃべりも楽しみながら金継ぎをされていて、素敵なコミュニティが生まれていました。
最後に
知識の乏しい私にも分かるように、一つ一つ丁寧に教えてくださった小石原さん。「困ったことあったらまた連絡くれていいよ。」と最後に温かいお言葉をいただき、モノに対しても、ヒトに対しても、変わらぬやさしさが伝わってきました。定期的に展覧会などで小石原さんと生徒さんの作品を発表されているそうです。これからの益々のご活躍を応援しております!
※小石原さんのお話を元に執筆しましたが、取材者Yukiの聞き間違い・理解が十分でないことがあるため、もし誤りがありましたら 取材者Yuki にご連絡ください(´・_・人)
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